高槻成紀(麻布大学教授/動物生態学)
2008年7月6日、モンゴル自然史博物館において「モンゴルの野生動物:日本モンゴル合同調査隊の発見したこと」展が開催された。当日は日本から東京大学総合研究博物館の林館長が訪問され、挨拶を述べられた。また日本大使館の市橋大使から祝辞を頂戴した*。モンゴル側からも多数の参加者があり、モンゴル科学アカデミーのチャドラー所長、モンゴル自然史博物館のゾリグトバータル館長からそれぞれ祝辞が述べられた。
海外調査は初めてではない。大場先生のチームに参加させてもらってヒマラヤの高山で放牧の影響を調べる経験を数度させてもらった。それらは調査に専念していればよい、気楽さのまさる調査行であった。だが、モンゴルではチームリーダーとして隊全体に配慮しなくてはならなかった。現地では地元の牧民にお世話になる。緊張の伴う調査が終わったときは、そのありがたさが身に染みた。
そうした経験を繰り返すうちに、私の中にある思いが生まれてきた。海外調査では短期間に集中的な調査をし、成果をあげる。それらは標本となり、また論文になって、学問の世界に紹介される。もちろんそれは最も重要なことであり、当然のことでもあろう。しかし、それだけでいいのだろうか。先進国の研究者が成果を持ち帰るという形態はフェアプレーという点でも問題なのではないか。これらの成果は、モンゴルでお世話になった人々にこそ還元されるべきものではないのか。そういう気持ちが次第に強くなってきたのである。
私たちの研究のそもそもの目的はモンゴルの野生動物をよりよい形で保全するための根拠となる事実を発見し、保全の論理を組み立てることにある。そうであればなおさら、研究成果をモンゴル市民に知ってもらい、野生動物の魅力とその保全の重要さを理解してもらいたいと思った。
私は2007年の夏の調査のときに、モンゴル自然史博物館に展示の企画をもちかけ、前向きの返事を得たので、その後、連絡をとりあった。そして、2008年の5月に図面や資料をもってモンゴルを訪れ、部屋の間取りや、ショーケースのサイズなどを点検して準備の確認をした。その後6月になって、部屋の内装などがかなり進んだので来てほしいという連絡があり、再訪した。このときパンフレットの印刷や玄関に吊す垂れ幕のデザインなども決めてきた。木製ケースが完成し、頭骨標本を収めた。大型の野生ヒツジの頭骨やシカ類の角つきの頭骨などは見応えのあるもので、それが木製ケースに収まると有機物の組み合わせが醸し出す暖かい雰囲気が生まれた。
開催の前夜、展示場を下見した。私は展示前の時間と空間が好きだ。その部屋を歩き、ひとつひとつを確認しながら、静かな高揚感を覚えた。戦後の貧しい時代に育った私が、平和であったおかげで生物学の研究をすることができただけでなく、遙かなる国モンゴルで自分たちの研究の展示ができることになった。まことに夢のようなことという外はない。
展示の開催前夜といえば、東京大学にいたときに何度か経験したものだ。博物館のスタッフに多くのことを教えてもらいながら、自分なりに展示についても考えるようになっていたのだと思い、当時の同僚のことをありがたく感じた。
子供の頃の私にとってモンゴルははるかな国でした。広い草原にヒツジが草を食んでいて、牧民がゲルにのんびり暮らしている、そんなイメージの国でした。冷戦の時代、情報は限られ、存在すること自体が実感を伴わないほど遠い国でした。
大学に入って草食獣と植物群落についての研究をするようになり、文献をあさっていると戦時中に日本人が内蒙古で植物の研究をしていたことを知りました。「マンシュウアサギリソウ」などの植物名がきれいだと感じられ、ホロンバイルなどという地名は、まるで詩のように響くのでした。その頃、モンゴルは夢の国でした。それは実現が果たされることはないという意味で。
草原に落ちる落日をながめながら、私はこの国境の西側にあるモンゴルにたくさんのモウコガゼルがいると聞き、そのことを想像しました。モンゴルが夢ではなく現実味を帯びた瞬間でした。
2002年になってその夢が実現し、私はモウコガゼルの調査をするためにモンゴルのゴビ地方を訪問しました。広い大地やそこに暮らす人々に出会い、感激しました。それからは毎年モンゴルを訪れることができました。
よい成果も生まれました。そして私はその成果をモンゴルの博物館で展示したいという新しい夢を持つようになりました。
その夢が今朝、実現しました。思えば、どの夢も最初は叶わぬものと思われました。しかし諦めないで求め続ければ実現することがある、今そんな気持ちを持つようになりました。そして今、私には新たな夢がまた生まれました。それはこの展示のキットを作って、自動車でモンゴルのいなかの小さな小学校を訪れて展示をすることです。私にはモンゴルの子供たちが目を輝かせて展示をみているようすがはっきりイメージできます。大都市ウランバートルではなく、広い草原の中で子供たちに見てもらってこそ、本当のご恩返しができたといえると思うのです。
*この展示について在モンゴル日本大使館のHPに紹介記事がある。
http://www.mn.emb-japan.go.jp/news/jp603.html