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東京大学総合研究博物館ニュース ウロボロスVolime21Number1



研究紹介
イラク・クルディスタンでの遺跡調査

小髙敬寛(本館特任助教/近東考古学)

イラク・クルディスタンという地域
 現在、クルディスタン地域政府によって自治が行なわれているイラク・クルディスタン地域は、イラク共和国北部のやや東寄りにあたる。地勢的には、イランの西縁を北西-南東方向に走るザグロス山脈のほぼ北端の南西麓、あるいはトルコ南東部を東西に走るタウロス山脈の南麓にあたり、南西方のティグリス川に灌ぐたくさんの河川が流れる(図1)。
 古代のイラクといえば、平坦な乾燥地帯を流れるティグリス・ユーフラテスの両大河のほとりに栄えたメソポタミア文明で知られる。しかし、クルディスタン地域は、かつて森林が広がっていたとされる山がちな土地であり、シュメル、アッカド、バビロニア、アッシリアといった歴代の諸王朝を通じて、山岳民族の住む異国の地、あるいはメソポタミア勢力の前線地であった。華やかな文明の舞台からみれば、北東縁に位置する辺境に過ぎなかったのだ。近現代にいたっても、イラク共和国で最大の人口を誇るアラブ民族ではなく、マイノリティの側であるクルド民族が多数を占めることから、同様の構図を引き摺っているともいえるのかもしれない。
 だが、先史時代、特に最後の氷河期が終わった約1万2千年前から5千年余りのあいだ、クルディスタンは人類史を牽引する先端の地であった。その事実を初めて明らかにしたのは、米国・シカゴ大学のロバート・ブレイドウッドである。彼は1948~55年に学際的な調査団を組織し、この地において「イラク=ジャルモ・プロジェクト」と呼ばれる一連の先史遺跡調査を実施した(図2)。その結果、文明形成への出発点ともいえる農耕牧畜の開始が、のちに文明が花開いた大河のほとりではなく、クルディスタンのような丘陵地帯で起きたことを突き止めた。この研究成果により、イラク・クルディスタン地域は一躍、世界の考古学界でも脚光を浴びる存在になったのだ。

戦禍の時代
 20年ほど前、西アジアの先史考古学、特に人類史上最古といわれる農耕牧畜社会の研究を志した私にとって、彼の地は憧れのフィールドであった。とはいえ、現地での調査活動など望むべくもなかった。1960年代に始まった長い戦乱の只中にあったからである。その間の多くは、自治や独立をめぐってバアス党率いるイラク共和国政府と断続的な交戦状態にあり、湾岸戦争後は地域政府が樹立され自治を手にしたものの、まもなく内戦状態に陥ってしまった。今世紀に入るまで、日本の学校教科書はブレイドウッドの研究成果にもとづいた農耕牧畜開始のプロセスを載せていたが、実際そうした研究の舞台は、すでに「肥沃な三日月地帯」の西翼、レヴァント地方へと移っていた。なかでも、シリアには日本から複数の調査団が派遣されていた。私もそれらに参加させていただけるようになり、以来15年間、シリアで多くのことを学んできた。
 ところが、東日本大震災の報に動転しながら、片田舎の村で独り出土品の整理作業を続けた2011年3月が、私にとってこれまで最後のシリア滞在となってしまった。今度は、シリアが戦禍に見舞われ始めたのである。

新天地へ
 研究のフィールドを突然失ってしまったわけだが、いつまでも嘆いてばかりはいられない。新たな方向性を模索していた2013年春、思わぬところからお声がかかった。オランダ・ライデン大学、オリフィア・ニウウェンハウゼからの誘いだった。シリア国内数々の遺跡調査で活躍し、先史時代の土器研究を牽引する人物である。彼も私と同様、次なるフィールドを探し求め、2012年にイラク・クルディスタン地域へと足を踏み入れていた。もし興味があるならば、そこで一緒に新しい仕事を始めないか、というのだ。
 2003年のイラク戦争後、遂に戦乱を脱したイラク・クルディスタン地域は、混迷の続くイラクの他地域を尻目に、凄まじい勢いで復興が進んでいた。治安の安定化と油田の存在が欧米や東アジアからの巨額投資を促し、都市部では高級ホテルやショッピングモールが建ち並ぶようになった。今なお建設ラッシュは続いており、「第二のドバイ」との声さえ聞こえてくる。
 欧米諸国による現地での考古学活動もようやく2006年に再開し、2009年あたりから本格化した。この年、クルディスタン地域東端のシャフリゾール平原では、ドイツ・ハイデルベルグ大学(当時。現在はミュンヘン大学)のシモーネ・ミュールらが遺跡分布調査に乗り出した。その後、ヨーロッパ諸国の古環境学者や文献史学者たちが加わって、学際的かつ国際的な地域史研究プロジェクトに発展しつつ進行している。ニウウェンハウゼは、先史考古学の担当者としてこのプロジェクトに招かれていた。私への主な提案は二つ。一つは、諸遺跡の地表から採集した先史時代土器を共同で研究しようというもの。もう一つは、長期的な計画として、年代幅の隣り合う遺跡を各自で発掘し、初期農耕牧畜社会から文明形成までの時代を包括的に研究しようというものだった。
 是非もない。2013年8月、私は初めてこの憧れの地に降り立った。採集された先史時代土器に接し、自らが発掘する候補遺跡を探し回り、ニウウェンハウゼが発掘の標的に定めたテル・べグム遺跡の予備調査をともに実施した(図3)。こうして、新しい挑戦が始まった。イラク・クルディスタン地域、シャフリゾール平原は私のフィールドになったのだ。
 ただ、かつて夢のまた夢であった場所が新天地となり、代わりに毎年当然のごとく数か月を過ごしていたフィールドが手の届かぬ存在となってしまったことには、何とも複雑な思いがある。私が参画するまで、日本人が携わったイラク・クルディスタンの遺跡調査は、1950~70年代の東京大学イラク・イラン遺跡調査団による付随的な踏査が唯一の例であった(なお、2013年秋以降は2つの調査団が遺跡踏査を実施し、2014年8月には筑波大学・常木晃教授が日本の調査団として初めての遺跡発掘を開始した)。シリアが再び開かれるのも半世紀近く先、とはならないことを切に願っている

シャフリゾール平原の先史考古学
 新しいフィールドとなったシャフリゾール平原は、ティグリス川に潅ぐディヤラ川の流域に広がる盆地である。ザグロス山脈からの水流がディヤラ川に集まる結節点となっており、1956~61年にはダムが建設された。現在、広がっている畑地はその恩恵かもしれない。ここに住むクルド人は、少なくともかつては移牧を営む遊動民が主であって、今でも農閑期には畑のあちらこちらで家畜の群れが放牧されている。標高はおおよそ500m前後。イラク=ジャルモ・プロジェクトを代表する初期農村遺跡、ジャルモが800mほどであるから、農耕牧畜が始まった丘陵地帯と文明が発祥したメソポタミア低地との中間にあたる。
 私たちが研究に取り組み始めた年代の幅は、おおよそ前7000年から前3000年まで。これもまた、農耕牧畜の開始と文明誕生とのあいだである。つまり、この時代・この地域を研究する大きな意義は、人類が西アジアで初めて経験した二つの重大な革新をつなぐ、歴史的脈絡と経緯の解明にある。
 2013年に予備調査を行なったテル・べグムでは、前6千年紀後半と前4000年前後と思しき文化層が確認できた。推定年代が大雑把なのは、これまでの調査の停滞で参照資料が皆無に等しいからだ。本館の放射性炭素年代測定室にお願いしている年代測定の結果が出れば、より絞り込むことができるだろう。昨今シャフリゾール平原では、他に二つの調査団が先史時代遺跡を発掘している。英国・レディング大学のロジャー&ウェンディ・マシューズ夫妻が手がけるベスタンスール遺跡の年代は、おそらく前7千年紀半ばまで。ロンドン大学のデヴィッド・ウェングローとロバート・カーターが調査するグルガ・チヤ、テペ・マラーニの2遺跡は、それぞれ前4千年紀半ばと前6千年紀半ばである。
 したがって、大きく抜け落ちているのは前7千年紀後半~6千年紀前半と前5千年紀。前者がシリアで研究してきた年代幅とも一致するので、私自身はこの年代の遺跡を発掘すべく準備を始めた。ただし、ミュールがこれまでに記録した250を超える遺跡のうち、当てはまりそうなのはわずか数遺跡しかない。選択肢は限られているから、候補遺跡は早々に絞り込むことができた。1ha足らずのちっぽけな遺跡なのだが、かのジャルモだって小さい。十分に人類史研究への寄与が見込めるはずだ。
 だが、膨らむ期待とは裏腹に、正直なところ私自身の計画はそう思いどおりに進んでいない。プロジェクトの仲間たちもそれぞれの事情を抱えているようだ。いずれも、私たちには如何ともしがたい中東情勢が影を落としていることは否めない。それでも、少なくとも前は向いている。2015年10月には、ニウウェンハウゼの企画で「シャフリゾールの先史考古学」と題する公開ワークショップがライデンにて開かれ、ミュール、ウェングロー、カーター、そして現地スレイマニヤ大学のコザド・アフマドらとともに、これまでの研究成果と現状について討議し、今後の継続的な相互連携を確認することができた。集まった面子は皆まだ40代、大事なければ猶予は十分にある。慌てず騒がず、先を見据えて、粘り強く取り組む覚悟が肝要なのだろう。なにせ、イラク・クルディスタン地域は、半世紀もの雌伏を経て先史考古学の表舞台に帰ってきたばかりだ。まだ、これからである。

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図1 イラク・クルディスタン地域,シャフリゾール
平原の位置.



図2 ジャルモ遺跡(2014年3月撮影). イラク=
ジャルモ・プロジェクトでの発掘調査の痕跡が残る.



図3 テル・べグム遺跡の予備調査風景(2013年8月).